杜の樹神(もりのこだま)9月号

祖霊まします我等の杜(もり)


 葬儀の葬の字は遺体を路地ではなく、草の上に安置して、亡くなった本人に敬意を表して優しく草で覆いをして弔ったことを表しています。我々の御先祖様達は、他の文明と交わることもなく、一万年もの長きにわたって住居を森の中に定めて、木々に囲まれて暮らしていました。死者が出ると、同じ森の中に葬っていました。


  時代が下って、弥生時代になると、人々は森を出て、平地に降り、山際に住居を定め、森の前の平地は田畑として耕し、稲作を始めました。裏山は、住居の材料・木材をそして山菜や動物性蛋白質・獣‣鳥類を提供してくれる里山となり、身近な人が亡くなると、祖霊の住まう里山の奥の森に埋葬しました。何代か経ると、そこは大切な祖霊が住まう聖地となって、一族の守り神としての祠が建てられることもあったようです。


  当時の事、日が暮れれば、裏山は暗くなり、夜行性の獣が横行するおどろおどろしい闇の世界となります。人知を超えた大音響の落雷もしばしば裏山で起こります。裏山は祖霊がまします森と崇められました。  春には、田植え前には、祖霊は山から下りてきて、田の神となり、稲の成長を守り、子孫に秋の収穫という恵みをもたらします。  


 仏教が我が国にもたらされたあとでも、仏教的伝説の黄泉の国・極楽は遥か遠くの十万億土の彼方ではなく、死者の魂は身近な裏山に行くものとされました。祖霊のまします里山の奥の森に迎えられ、仏となって、年月を経て神となり、八百万(やおよろず)の神々に仲間入りとなります。


 裏山は亡くなった人が行く、身近なあの世への入り口だったようです。

 全国各地の名山は、神々の住まう処となり、頂上に社が祭られるようになったのは、以上の事情があったからです。


 

 万葉集の時代にも、すでに撒骨は行われていました。


玉梓(たまづさ)の妹(いも)は花かも

 あしひきの この山陰(やまかげ)に

 撒けば 消え失せぬる 』

 ※妻はまるで花のようだ。この山陰に   お骨を撒いたら消えてしまった

                     (万葉集 巻第七 一四一六) 


  万葉集には、このほかにも撒骨をして亡くなった人をいとおしむ句がいくつも残されています。


        


 ☆江岩寺裏山・天川(てんがわ)の森は、あの世への入り口です☆ 


洞雲山 江岩寺(臨済宗妙心寺派)

江岩寺は、愛知県小牧市北東部丘陵地帯の大山区に位置しており、緑豊かな自然環境のなか小牧市最高峰、標高約300mの天川山を背景にして静かに佇む山寺です。 山の中腹に大山寺塔跡、兒神社(ちごじんじゃ)不動堂、 そしていくつかの古墳、麓に江岩寺と薬師堂があり、 これらが連なる開析谷一帯は国の史蹟に指定されています。