杜の樹神(もりのこだま)7月号~佛教そして民主主義

教団の始まり

 仏教の始まりは古代インドの小国カピラ国の王子シッダールルタが出家僧となって、修業の最後に大悟徹底されて、仏陀(悟った人となり)修行仲間に説法をし、従う人たちを仲間にして僧伽(さんが)がつくられ、教団が誕生しました。

 現在のインドのカーストというという厳しい身分制度を見てわかるように、生まれながらの身分や乗り越え難い格差は古代インドにも厳然としてありました。

 当時のインドではバラモン(僧侶)・クシャトリア(王侯貴族)ヴァイシャ(庶民)スードラ(どれい)という階層別の身分制度というものがあってその隔壁の壁は厚かったようです。

 釈尊が、深い禅定の後に悟られたのは、俗世間のなかにある格差や差別は単に表面的なものであって、本質的なものではないということを確認徹底されたものと思われます。

 人々がみてくれや身分の別はあっても本来はそのような形で差別されるものではなく、本質的には平等な存在であるということを悟られたようです。かといって、人権を尊重した平等な社会を当時の俗世間に創り上げることは、余計な摩擦を創り上げることとなります。

 釈尊が人々に主として説いていたのは心の安心(あんじん)です。余計な摩擦が起きれば目指していることから外れてしまいます。

 古代のインドでは、釈尊がそうであったように出家の制度が確立していました。かつての修行仲間を中心に、安心を求める人たちが釈尊のもとに集まるようになりました。これが仏教教団の始まりです。

 教団への入団は出身身分の制限はもちろんのことありませんでしたし、入団してからはもちろん入団時期の差だけが序列の差となっただけです。世界中で普遍的に慣行として行われていた人間を身分や格差での差別は全くありませんでした。

 四民平等の考えは、上座部仏教と大乗仏教とに分かれた後もその双方に受け継がれました。時代がかわり処が変わって日本へ至った後も、浄土真宗の僧侶が指導者となって起こした加賀の一揆では、フランス革命やアメリカの独立戦争のはるか以前に世界に先駆けて、人民の人民による人民の共和政体を実現させていました。これもひとえに釈尊の四民平等の考え方が根底にあったからだと思います。


江岩寺の谷間は、変わってゆきます

 30~40年後 江岩寺をとりまく西や東や北の山並みは、春は山桜・秋は楓の紅葉の谷間となります。

 寺を取り巻く山には、竹林がはびこり始めていました。竹が繁殖し始めると山は多種多様な植物が命である四辺の山は

荒れてしまいます。

 そこで、里山を生き返させるためにかなりの竹を伐採しました。

 現在伐採した竹林の跡に、山桜と、楓を次々と植樹しています。

 青山葬(自然葬・撒骨)を始めましたので、江岩寺の裏山は「霊山大山」にふさわしい山となります。


サンコウチョウが鳴いた

 ここ2,3年聞こえなかったサンコウチョウの鳴き声を久しぶりに寺の近くで聞くことができました。 時々来訪する″野鳥の会の人たちが山の奥の方で聞いたよと言ってくれたのが去年でしたが、境内で聞いたのは久しぶりでした。

 以前のように、竹林横の稚児川岸で巣作りしてほしいものです。 


今年もホタルが飛びました

 竹炭を創る会の人たちの努力のおかげで、竹林の稚児川岸べりでホタルが舞いました。霊山大山にふさわしい光景です。

洞雲山 江岩寺(臨済宗妙心寺派)

江岩寺は、愛知県小牧市北東部丘陵地帯の大山区に位置しており、緑豊かな自然環境のなか小牧市最高峰、標高約300mの天川山を背景にして静かに佇む山寺です。 山の中腹に大山寺塔跡、兒神社(ちごじんじゃ)不動堂、 そしていくつかの古墳、麓に江岩寺と薬師堂があり、 これらが連なる開析谷一帯は国の史蹟に指定されています。