杜の樹神(もりのこだま)2月号~今仏法盛んなり なむあみだぶつ

今仏法盛んなり なむあみだぶつ

なんだこのタイトルは?……とぎょっとされる仏教徒の方が多いと思います。宗教に強い関心をもち始めたころの私もそうでした。

 世の中の錯綜する矛盾に、こころを奪われていたころのことですから、当時の仏教界に大きな影響を与え、仏教界の指導者の一人とみなされていた浄土真宗の碩学の言葉ですから、大いな衝撃でした。

 わたくしは、金子大栄師の是の表題の意味を理解するのに仏教の開祖である釈尊の最晩年の言行に目を向ければ、その意味するところが理解できるように思います。

 釈尊は、人生は生・老・病・死の苦しみに満ちているとして修業を始め、お悟りを開いた後、厳しいカースト身分制度のもとにあった人々を集めて四民平等の教団を作り、何十年にもわたって人々を導いて教えを広めてゆきました。

 その最晩年の事、死期が近づいたことも意識されていたのか、生まれ故郷の方に向かって、最後の旅を始められました。

 世の中をいつも冷静な目でながめて、行く先々の説法でそのことを説いていた釈尊はこの最後の旅では、行道中に見えてきた諸々の村々の様々な景色をめでて喜んでいることばが記録となって残っています。

 「人々が働いている姿を見ることは楽しい」

「子供たちが群れて遊んでいるのを見るのは楽しい」……などなど、あれだけ冷静なものの見方で社会に警鐘を鳴らして説法の基本としていた釈尊にしてこの言葉があることは意味深長であります。

 高齢となった釈尊の老熟した達観した心根がうかがわれる一節だろうと思われます。

 金子大栄師が吐露された 冒頭表題のこの言葉は、釈尊最後の旅の言葉を二千五百年後に日本語バージョンで再生復元したものといってよいでしょう。

臨床仏教公開講座(妙心寺派宗務本所主催)は臨床仏教師養成のための講座です。江岩寺住職は参加受講することにしました。五月からはいよいよ実習段階に入ります。今まで第一段階の講座が続いていました。閉じこもりをしている子供たちに寄り添ったり、家庭内暴力ではじき出された子供たちを収容したり、日本の比叡山で得度してインドに帰り、貧民街に寺を建立し最下層の人たちに教化活動をしている僧侶やその他多方面で活動している仏教者が講師となっています。

 公開講座だけあって一般の方々も参加していましたが半数以上は僧籍の方々でした。一般の社会が日頃の寺や僧侶に対して抱いている通念とは別の世界を見たような実感を得ました。葬儀や法事を守ってゆくことももちろん大切ですが、人々の心に寄り添う活動も大切なことであります。

   いま仏法さかんなり 合掌

洞雲山 江岩寺(臨済宗妙心寺派)

江岩寺は、愛知県小牧市北東部丘陵地帯の大山区に位置しており、緑豊かな自然環境のなか小牧市最高峰、標高約300mの天川山を背景にして静かに佇む山寺です。 山の中腹に大山寺塔跡、兒神社(ちごじんじゃ)不動堂、 そしていくつかの古墳、麓に江岩寺と薬師堂があり、 これらが連なる開析谷一帯は国の史蹟に指定されています。